編集部コラム/フランスの英雄皇帝!ナポレオン!!(後編)
書き手:垂直落下式しゃれこうべライターM(Twitter)
大阪で大江戸隊が咲かせた名勝負!
撮影禁止マッチに会場熱狂!!
アツかっったァァーー!!
観客による写真撮影禁止の令が出た、1月27日大阪大会のメイン!
花月と葉月の両名が激しさの向こう側を見せた戦いはまさn【編集デスバレー】
編集U「しっかり現地観戦してんじゃねぇよ!!!」
よ、余裕を持って……、大会2日前に大阪入りしちゃいましたよ……!
さておきや、工藤!!
暖房ONで本を読むと速攻スリープ! 週刊しゃれこうべ!!
大阪メインで出た技では葉月の首狙いバックスタバ―推し、SRSライターMです!!
ってことで、今回は前回に引き続きナポレオンのエピソードトークですよ!
コルシカ島に生まれてフランス陸軍に入り、
得意の砲術と兵たちを率いるカリスマ性でイタリア遠征を大成功させたナポレオン!
帰国した英雄、その後はいかに!
【目次】
ナポレオン・イン・エジプト †
ボロボロだったイタリア遠征軍を率いて連戦連勝を決めたナポレオン!
そんな英雄がパリに戻れば、当然人々は熱烈に彼を歓迎します!
しかし、四方八方から「ナポレオン万歳!」との声が上がってくる様子に、
さすがにナポレオンも食傷気味になり、しばらくは郊外に離れ住んだとか!
編集U「まぁ子供のころも周りと交流するタイプじゃなかったしな」
さて、イタリアにてオーストリア軍をとっちめたナポレオン!
おつぎは敵対関係が続くイギリスに狙いを定めます、が!
イギリスには海戦にて異様な強さを誇るネルソン提督がおり、
軽く偵察してみるも、イギリス本土に上陸して戦うのは無理ゲーな様子!
直接イギリスを攻めるのは難しいと判断したナポレオン!
しかしそこで、フランス政府はナポレオンにエジプト遠征を提案します!
編集U「唐突なエジプト」
なんでも、当時イギリスはインドとの交易が盛んだったそうで、
その中継地点であるエジプトを塞げば、間接的にイギリスを弱らせられる、ということだそうな!
そうだ エジプト、行こう †
そんな訳でエジプトへ向かったナポレオン!
兵士はもちろんとして、学会にも顔が広かった彼は、200名近い学者も同行させます!
編集U「すげー数連れてったな」
ってことで1798年、ナポレオンは学者と兵士を伴ってエジプトに上陸!
現地でトルコの軍勢と戦い、なんとかこれを退けます!
しかしやはり、エジプトの暑さ自体がかなりエグかったらしく、
水に飢えた状態でたどり着いた井戸が枯れていたときには、発狂して自分の頭を銃で撃ち抜いた者もいたとか!
編集U「渇きに耐え切れず自殺ってのは地獄だな……!」
ある程度状況が落ち着いてきたところで、ナポレオンはクフ王のピラミッドを訪問!
そこで、将来自分が世界を征服する皇帝になるヴィジョンを見たとか見ないとか!
エジプト近代化、その裏で †
ヴィジョンを信じて上機嫌なナポレオンでしたが、そこに飛び込む悲報!
なんと、港のフランス艦隊がイギリスのネルソン提督の艦隊に襲われて全滅したというのです!
当然港も制圧され、ナポレオンたちはエジプトから脱出不可能に!
が、ナポレオンは焦らず、ならばいまのうちにエジプトを近代化しよう、と言うのです!
編集「ポジティブゥ~」
ナポレオンは伝染病対策や治水計画を進めつつ、学者たちに遺跡の研究を進めさせました!
当時の研究が現在のエジプト考古学の礎を築いた、とかなんとか!
編集U「ちなみに、いわゆる“ロゼッタストーン”もこのときナポレオンが回収してるな」
ああ、あの言語学習サービス、古代エジプトの
そしてギリシア文字の3種で同じような文章が刻まれているという石板ですね!
編集U「まぁその後いろいろあって、結局イギリスに回収されたんだけどな」
ほ~!
と、そんな感じがあったり、イギリスの支援を受けたトルコ軍と戦ったりもしたナポレオンたち!
この戦いにも勝利し、休戦会議が開かれた訳ですが、そこでイギリス将校の持っていた新聞!
その記事を見てナポレオンは目を丸くします!
ってなことで、エジプトでの戦いが落ち着くや否や、ナポレオンはフランス本土へと急行しました!
皇帝・ナポレオン †
さて、わりとピンチなフランスでございますが!
当時は国のトップである総裁が5人いる! な状態だったのですが、
これがまさに船頭多くして船山に上る、ってな状態でした!
そんなグダりっぷりを見かねてか、1799年の11月9日!
当時の革命歴で言うところの
ナポレオン、シェイエス、デュコの3名が中心にクーデターを起こし、
この3名がトップを務める統領政府を新たに作り上げました!
第一統領、つまりはトップのトップとなったナポレオンは独裁政権を築き、
税務署の設立、公共事業による働き口の増加、学校建設による教育補助など、国益になる施策を連発!
長年対立していたイギリスとのあいだにも講和を結び、
さらにはのちにほかの国々でも模倣される“ナポレオン法典”を交付するなど、
なかなかの名君っぷりを発揮したそうですよ!
編集U「ちなみに、ナポレオンの作成した憲法はその後100年以上使われ、日本の民法の元にもなってるな」
ほ~、グローバルに影響あったんですね!
ナポレオンのグッジョブっぷりには、かのベートーベンも感激!
自由と平等のために戦うナポレオンを称え、彼のために楽曲を制作したそうな!
大人気だよナポレオン †
さて、人気絶頂のナポレオン!
本来なら第一統領の任期は10年でしたが、国民投票で彼を終身統領にしよう、という動きが!
結果は、反対が約8千に対し、なんと賛成300万票!
圧倒的すぎる結果で終身統領に輝いたのです!
編集U「ここまで圧倒的な選挙結果もそうそうないな……!」
その後も人気は留まることを知らず、なら統領どころか皇帝もいけるっしょ!
と、これまた国民投票が行われたのですが、今度は賛成357万票を獲得!
1804年、彼はフランス皇帝の座に輝いたのです!
なお、この報せを聞いたベートーベンは「所詮は奴も俗物だったか」と激怒し、
先述の楽譜の、ナポレオンに宛てた献辞の書かれた表紙を破り捨てたそうな!
また、ナポレオンが皇帝となった戴冠式において、来ならばローマ法皇から皇帝の王冠を授かるところを、
ナポレオンは自分の手で王冠を取り、みずから頭に載せたとか!
編集U「ローマ法皇に認めてもらったんじゃなく、自分の手で勝ち取った地位だ、ってアピールか」
さようで!
しかも皇后である奥方にも王冠を被せたりしたらしいですね!
編集U「自由か」
戦で皇帝になったなら †
それはさておき、戦いの英雄として人気を掴み、皇帝となったナポレオン!
彼が民衆の心を離さないために必要だと考えたのも、やはり戦争でした!
編集U「せっかく講和結んで平和になったのにな~」
ヨーロッパ諸国との戦いを再開するにあたり、ナポレオンは腐らず持ち運べる戦場食を募集!
こうして、1810年にいわゆる缶詰が発明されたんだそうな!
編集U「ほ~」
缶詰の登場で補給がだいぶ楽になったのもあってか、陸地ではやはり連戦連勝!
しかし、海戦となるとやはりネルソン提督に辛酸を舐めさせられていました!
1805年のトラファルガー海戦では、フランス艦隊の33隻のうち、27隻が沈められたそうですよ!
しかし激しい戦いのなか、ついにネルソン提督もここで命を落とします!
ネルソン提督はいなくなりましたが、やはりイギリス海軍の手強さは変わらず!
そこでナポレオンは、1806年に“大陸封鎖令”を発令し、周辺国にイギリスとの貿易を禁止させました!
イギリスにもダメージはありましたが、輸出が止まるとあって、じつはフランス経済にも打撃が……!
編集U「苦肉の策だな~」
しかも、しばらくするとロシアが封鎖令を無視して貿易を続けていたことが判明!
1812年になると、ナポレオンは60万の兵を連れ、ロシアをシバきに向かったのです!
編集U「多すぎでは」
大敵は大自然 †
ロシアの砦やらに大軍を連れて向かうナポレオン!
ロシア軍はこれに徹底抗戦、はせずに、敵軍を引き込むようにすぐさま撤退していきます!
おまけに撤退する前に砦や町を燃やしていくものですから、
ナポレオンの定石であった制圧都市での物資補給を行うこともままなりません!
編集U「60万人もいたら補給も相当ハードだろうからな~。
こりゃ見事に痛いところを突かれたな」
9月16日、いよいよナポレオンはモスクワの地に到達!
さすがにここを占領したらロシアも降伏するだろう、と思いきや!
ナポレオンが到着したときには、モスクワはすでにもぬけの殻!
どころかあちらこちらから火の手が上がっていました!
編集U「焦土作戦が徹底してやがる……!」
ロシア側が長期戦に持ち込んだことで、ナポレオンにとって最悪の敵である冬将軍、
すなわち、極寒どころの騒ぎではないロシアの過酷な冬が訪れました!
こりゃいかん、と撤退を始めたナポレオンですが、退路にてゲリラ戦法を展開され、
フランスから出た60万の兵士は、帰ってきたときにはわずか5万人にまで減らされていたそうな!
ナポレオン豆知識 †
ところでここで豆知識なんですが、スーツの袖に付いてるボタンがあるじゃないですか!
編集U「また唐突な話を……。袖のボタンってーとあの、いまいち用途が不明な」
そうそう!
あれですね、じつはナポレオンが開発した説があるそうで!
なんでも極寒のロシア遠征で兵士たちが鼻水垂れまくりで、それを袖で拭っていたそうなんですよ!
しかし、袖が鼻水だらけの兵士など、敵に舐められてしまうというもの!
そこで、鼻を拭えないように袖口にボタンを付けた、ってことだそうな!
編集U「えぇ……。
いや確かに言われてみればジャストな位置だが」
謎ボタンにも歴史があったんですねぇ~!
さておき、斜陽の皇帝 †
ナポレオン史上最大の敗戦から約1年経った1813年8月、
ロシアはプロイセンやオーストリアと同盟軍を結成し、フランスを攻撃します!
この攻撃はなんとか防ぐも、10月には同盟軍33万対フランス軍15万の大規模戦闘が勃発!
3日間の戦いののち、フランス軍から裏切り者が出たこともあって、ナポレオンは敗走する羽目になります!
編集U「その規模で倍以上の兵数差はヤバいな……!」
でも意外に、この戦いでの死者はフランス軍6万5千に対し、同盟軍6万!
単純な数で言えばわりとトントンだったってんだから驚きですね!
しかし半数近い兵を落とされ、戦力差は広がるばかり!
ナポレオンの抗戦も虚しく、1814年3月、パリは同盟軍の手に堕ちました!
これにより、ナポレオンは皇帝の座を退き、エルバ島へ追放されることとなります!
ナポレオンが去った後、フランスではルイ18世が国王に即位しますが、
戦後処理のために開かれたウィーン会議では領土問題で各国が揉め、ルイ18世も国民にはいまいち不人気!
この噂を聞きつけたナポレオンは、エルバ島を脱走して皇帝の座に返り咲こうとします!
ごく少数の部下を連れ、上手いことフランス本土に上陸したナポレオン!
彼に対する民衆の信仰心はいまだ薄れておらず、行く先々で軍隊や農民が仲間に加わっていきます!
結果、7000人の兵士と4000人の農民がナポレオンに味方し、
大挙した人々を恐れたルイ18世は逃亡、ナポレオンは再びパリに舞い戻ったのでした!
編集U「すげぇ根性だな……!」
再挑戦、その結果は…… †
再び世界を征服すべく、ナポレオンは同盟軍に雪辱戦を挑みました!
1815年6月18日、ワーテルローの平原にて戦いは始まります!
ナポレオンは得意の砲術で同盟軍を蹂躙……、したかったのですが!
雨でぬかるんだ平原に大砲の車輪が取られ、砲兵隊は上手く動けず!
おまけに、別方向から同盟軍を襲う予定だった別動隊は、敵の別動隊に阻まれてしまいます!
結果、まともに動くことが叶わなかったナポレオン軍は、再びの敗北を味わうことに!
この後、ナポレオンはパリに帰還しますが、フランス議会はナポレオンの退位を決定し、
国のトップには再びルイ18世が収まることとなったのでした!
そして、ナポレオンはセント・ヘレナ島に送られることとなり、
この地で胃ガンに倒れ、この世を去ったのです!
~ 終幕 ~
ちなみに、セント・ヘレナ島はアフリカ大陸からだいぶ離れた沖合の孤島でござい!
こりゃさすがに脱出もできなかったでしょうね!
大規模な戦争をくり返し、100万人単位の戦死者を出したナポレオン!
“人命の浪費者”と蔑まれることもあるようですが、一方で称えられることも多いようですね!
いまも一般的なイメージはわりと英雄寄りな気がしますし!
編集U「戦死者も多いが、ナポレオン法典とかの功績面がデカいからな~」
自国民に大砲ぶっ放した前回に比べると、後年の行動はわりとマトモでしたしね~!
あとがき †
ってことで、ナポレオン回・後編でございましたよ!
いやぁ~、まさか袖のボタンがねぇ!
編集U「そこかよ!!」
ところで前回のコメントで知りましたが、ナポレオンの肖像画で手前に書かれている岩に、
ボナパルト、ハンニバル、カール大帝の名前が刻まれているんですってね!
確認してみたらマジで彫ってありましたよ!
編集U「カットされてたけど、ハンニバルと同じくアルプス山脈越えをナポレオンもやってるしな」
そうそう! まぁナポレオンにつきましてはね!
小ネタも含めて大小まだまだいろいろありますから!
細かい話は某Wikipediaとかを覗いてみると面白いかもですよ!!
編集U「 こ こ で 書 け や 」
い、いや尺的なサムシングがね……?
まぁホラ、アレですよ!
続きは、WEBで!! 的な!
編集U「ここもWEBなんだが」
……う、ウェブっていうと~、網ですよね、網!
巡業ルートが全国を巡ってさながら網目の様になっていると言えば、プロレスじゃないですか!!
ってことで、スターダムトークでございますよ!!
編集U「尺」
ひと言ッ!!!
1月27日の大阪大会ではタッグ王座を防衛した渡辺桃&林下詩美!
さらに昨日、2月2日の京都大会では林下がフューチャー王座を、桃が白いベルトを防衛!
桃に至ってはV10で紫雷イオの防衛記録と並びましたよ!!
2月17日の後楽園ホール大会では、そんな絶好調タッグに岩谷麻優&星輝ありさが挑戦!
ぜひともその勢いとタッグのベルトを奪ってほしいもn【編集サンライズ】
編集U「はい終わりィィーー!!!」
し、しかし……、京都KBSホールは、ステンドグラスが、すばら、しい……!アプサラスッ
【2月のランキングと言えば!?】 †
コラムで取り上げてほしいキャラ、行ってほしい特集はいつでも募集中! 「この騎士ってどんな活躍したんだろう?」 「この妖精って元ネタあるのかな?」 「SRSと編集Uの考える○○ベスト5ってどんな感じ?」 などなど、『乖離性』で攻略に関係ない疑問があれば当コラムのコメント欄へ書き込んでください! SRSが可能な範囲で調べて取り上げます! 皆さまのコメント、お待ちしています! |
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フランスの英雄皇帝!ナポレオン!!(前編)【垂直落下式しゃれこうべライターM】
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その誕生から陸軍でのバキバキな活躍までを、刮目せよ!
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