編集部コラム/祇園精舎の鐘が鳴る!源平合戦!!
書き手:垂直落下式しゃれこうべライターM(Twitter)
タッグ王座戦線、揺るぎなし!
鹿島沙希と中野たむが負傷した岩谷麻優のために奮戦し、
期待と予想を上回る肉薄ぶりを見せた王座戦!
あぁしかし! 立ちはだかる女王たちの結束もまた強固なれb【編集Uドライバー】
編集U「年末も相変わらずだなオイ!!!」
ぷ、プロレスに関してはブレませんからね……!
さてもさりとて、さておいて!
いよいよ大晦日直前! 週刊しゃれこうべ!!
年間行事なら初詣推し、SRSライターMです!!
ってことでね、年末ですよ年末!
しかし季節ガン無視のエピソードトーク! いつも通りですね!
今回扱いまするは……、建礼門院こと平徳子! アンド、牛若丸こと源義経!!
つまりは、源平合戦のお話でございますッ!!
例によって歴史の知識皆無の付け焼刃マンなのでね!
細かいアレやソレに関してはコメントでツッコミをいただけたらこれ幸い、ですよ!
【目次】
意外に多いぞ源平合戦勢 †
さァーて今回扱う源平合戦!
平安時代のお話ながら、意外と『乖離性』に登場している人物が3名もいるんですね!
建礼門院と牛若丸、そして巴御前!
御前の活躍については2017年6月の大和乙女回を見ていただくとして、
今回は源平合戦全体の流れを見ていこうじゃないか、と!
牛若丸についての細かい話にも触れながらだと長すぎるので、
こちらは来週、新年1発目に送るとしましょう!
編集U「またそうやってネタの使いまわしを……」
源平合戦自体がデカい話なんだから仕方ないでしょうが!
そして皆さんお察しでしょうが、今回も代役てんこ盛りとなりますよ!
んでは、『乖離性』キャラで見る源平合戦、開幕、あ、開幕ゥ~!
序幕:合戦の火種 †
のちに源平合戦として語り継がれる戦いは、
鳥羽上皇の長男・崇徳上皇と四男・後白河法皇の対立が発端の発端となっています!
保元元年(1156年)、鳥羽上皇が崩御すると、
崇徳上皇と後白河法皇とのあいだにくすぶっていた火種が爆発し、
両者に味方する武士たちがそれぞれに軍を成し、戦うことになったのです!
当時のざっくりとした陣営は、こんな感じだったそうな!
どっちの陣営も源氏と平家が協力しとるやんけ!
という衝撃!!
この戦いはまだ源平合戦じゃないんですけどね!
編集U「というかまぁ、源平合戦って言われてる戦いも、
別に源氏全員が平氏と敵対してた訳じゃないからな」
ほ~。白い旗を掲げる源氏と赤い旗の平氏、両家が火花を散らす源平合戦!
というイメージだったんですけどね!
あ、ちなみにですけど、源平それぞれの旗の色が紅白歌合戦とかにつながってるんですよ~!
編集U「 常 識 」
ちィ……ッ!
さておき、この戦いは後白河法皇陣営が勝利を収め、
その勝利に貢献した平清盛はめきめきと勢力を伸ばしていきます!
一方で、同じく後白河法皇に味方した源義朝でしたが、
こちらは清盛ほどの勢いを得ることができず、清盛に不意打ちを仕掛けて勢力を奪おうとします!
編集U「コスい~」
が、これが清盛にバレてしまい、義朝は命を落とすことに!
彼の子である源頼朝は伊豆に流され、当時2歳だった牛若丸こと源義経は、
母親とともに清盛の手中に落ちることとなります!
牛若丸はその後、11歳になると鞍馬寺に預けられるのですが、
そのへんについてはまた来週!
一方の建礼門院 †
牛若丸が幼くして捕らわれの身(といっても処遇は悪くなかったようですが)となり、
のちに武士としてその手腕を振るったのに対し!
清盛の娘である建礼門院は、戦場に立つのではなく、高倉天皇との結婚、
そしてその子である安徳天皇の出産といった動きで登場しています!
編集U「いやぁ安徳天皇は……。まぁ言うまい……」
ってことで、義朝が清盛と敵対し、命を落としたことでフラグが立った源平合戦!
いよいよその幕開けですよ!
一幕:第一の反乱 †
さて、1156年の戦いで勝利を収めて以降、絶好調の平家!
当時66国あった日本の領地のうち、30余りを平家が治めていたそうですよ!
編集U「ほぼ半分が平家ってのはすごいな」
治承2年(1178年)には先ほど触れた、のちの安徳天皇が誕生し、
その後清盛は反平家の公卿から官位を剥奪するわ、後白河法皇を鳥羽殿に幽閉するわと、
横暴っぷりにも磨きがかかってきます!
平家の驕りっぷりが濃縮されているのが、このフレーズ!
編集U「いまなら炎上どころじゃないな……!」
炎上でもさせようもんなら即処刑されそうですけどね……!
そして治承4年(1180年)に安徳天皇が即位し、
権力をより大きくした平家は絶頂期を迎えるのでありました!
しかし、その横暴ぶりから敵も生まれ、このときに動いたのが、源
彼は後白河法皇の第三皇子である
が、これは清盛の策動もあって延暦寺や興福寺といった寺社勢力との連携ができず、
頼政は捕らえられて切腹、以仁王は逃亡中に矢で射られて絶命!
驕れる平家への第一の反乱は失敗に終わるのでした!
二幕:頼朝、決起 †
安徳天皇が即位したのと同じ治承4年、
父・義朝の死後に伊豆への島流しとなっていた源頼朝は、
秘密裏に後白河法皇からの伝言を受け取り、兵を挙げます!
頼朝の挙兵を受け、平氏側も福原や京から関東方面に乗り出してきます!
が、信濃は巴御前の夫である木曾(源)義仲が支配しており、甲斐も源氏側が優勢となっていました!
さらに牛若丸改め義経も頼朝と合流し、源氏勢力は力をつけていきます!
のちの武田信玄などがそうだったように、やはり甲斐の武士たちは騎馬戦に長けており、
海上戦を得意とする平氏軍は、平野の多い場での戦いにあまり気乗りせず!
しかも、かつて源義朝の配下で、落ち延びた結果平氏の配下となった斎藤
「東国の武士はマジでパない」と語っていたおかげで平氏側のテンションはダダ下がり!
おかげで夜中に水鳥の大群が飛び立った音を夜襲と勘違いし、そのまま撤退してしまったとか!
編集U「水鳥の飛ぶ音とともに夜襲があったって説もあるけどな」
さすがに音だけで撤退というのもアレですし、夜襲があった説のほうがそれっぽいですね!
さて、やられてばかりでは名が廃る、ってことで平氏も反撃を開始しますが、
源平合戦が本格的に動き出してから1年経った治承5年(1181年)、
平家の頭であった清盛が病魔に倒れ、壮絶な高熱にうなされた挙句に命を落とします!
平家の調子が悪いなか、今度は義仲が破竹の勢いで平家を破り始め、
旗色は一気に源氏側優勢となっていきます!
寿永2年(1183年)、牛の角に松明をくくり付けて突撃させた
勝利に勝利を重ねる義仲の姿を見て、それまで平家側についていた延暦寺も源氏方に味方し、
後白河法皇も見切りをつけて比叡山に移り、平家と距離を置くのでした!
平家はやむなく安徳天皇と建礼門院、そして三種の神器を伴って都を離れ、西へと逃げていきます!
見事に都入りを果たした義仲でした、が!
巴御前の回でもご紹介したように、無骨な武士であった義仲は、
京に渦巻く謀略に巻き込まれて後白河法皇と敵対することになり、
法皇が義仲討伐の命を出したことで、頼朝の派遣した軍勢に討ち取られてしまうのです!
ちなみに、義仲討伐の軍勢を率いていたうちのひとりが義経だったりします!
平家を都から追い出した義仲を義経が討伐するというのは、
この後の展開を考えると、なかなか考えさせられるものがありますね……!
かくして、改めて義経が都入りとなった訳ですが、
この内輪もめのあいだに、平家は再び兵力を整えていたのです!
三幕:義経、電撃進軍 †
さて、対源氏の準備を整えた平家は、瀬戸内海の東に位置する屋島、西の彦島に本拠地を構えます!
対する源氏は、義経が先頭に立って進撃を続け、義仲の活躍を思わせる快進撃を見せました!
その攻めは鬼神のごとくと謳われた義経の戦いでも、
一ノ谷の戦いで見せた“
一ノ谷、という名前の通り、急勾配の山が戦場だった訳ですが、
兵の数で劣る義経は、平家の裏をかくために山から敵陣後方へと回り込み、
断崖絶壁の上から馬に乗ったまま、敵陣目がけて駆け下りていったのです!
編集U「ちょっと何言ってるか分からない」
でもちゃんと実行前に安全性の確認はしていますからね!
編集U「確認……?」
先に馬を2頭崖から落とし、片方は脚をくじいてしまったものの、
もう片方は無事に駆け下りたということで、気を付ければ行けるだろう、と!
編集U「脚くじいた馬ェ……」
とにかく、そんなヤバい攻めかたも使って義経は平家をつぎつぎと撃破!
平家はいよいよ瀬戸内海、海上への逃亡を余儀なくされるのです!
逃げる平家に追撃をかける源氏勢ですが、さすがに海上戦では平家に分があります!
おまけに、「義経を活躍させすぎると(政治的に)困る」という頼朝の判断により、
大将が源
しかし、範頼がイマイチ戦果を挙げられないことに業を煮やし、
頼朝は結局再び義経を頼ることになります!
兄からの命を快諾した義経は、嵐のなか無理やり船を出すという、
またも常識破りの動きを見せ、摂津の渡辺津から四国の勝浦までをわずか6時間で移動してみせます!
四国に上陸するや、周囲の武士を味方につけて敵本陣の屋島へ奇襲を仕掛け、
わずか一昼夜にて屋島を攻め落としてしまったというから驚き!
編集U「平家からすれば、対岸からくると思っていた相手が背後から、だもんなぁ」
ちなみに、このあたりで、源氏配下だった弓の名手・
“扇の的”と呼ばれる有名なシーンがありますね!
見事的を射抜いた与一の腕前に、思わず敵軍の将も舞を披露したのですが、
その将を射るように命じたという義経の敵将絶対殺すマンっぷりも強烈!
編集U「戦いだからまぁ、ってのはあるが、容赦ねぇな……!」
終幕:そして壇ノ浦 †
そんなこんなでガンガンに追い詰められた平家!
瀬戸内海をさらに西へと逃げますが、義経は追撃の手を緩めず、
関門海峡にて、とうとう源平合戦最後の戦い、壇ノ浦の戦いへと突入します!
関門海峡は潮の流れが激しく変化する海峡ということもあり、
序盤はその変化を熟知していた平家が有利に戦いを進めます!
が、戦いが長引き、潮の流れが源氏にとって有利な形に変わり、
さらに平家側からの裏切りで作戦が筒抜けになるという致命的なアクシデントが発生し、
平家はまたもボロクソに攻め立てられてしまいました!
ちなみに義経さん、ここでも鬼のような攻めかたを発揮します!
当時は船の漕ぎ手、いわゆる水夫は攻撃の対象としないのが定石だったのですが……!
編集U「鬼かッ!!!」
こうして平家の敗戦はほぼ確定し、武将たちはつぎつぎと海に身を投げていきます!
当時8歳だった安徳天皇も、三種の神器のひとつである草薙剣を持たされ、
乳母に抱えられたまま海へと沈んでいったそうな!
そしてこのとき、建礼門院も同じように海へと飛び込んだのですが、
彼女は源氏の軍勢にすくい上げられ、捕らわれの身となります!
彼女は京に送られた後、仏門に入り、
のちに彼女のもとを訪れた後白河法皇に自分の見た地獄を語り伝え、
その惨状に法皇が涙した、というエピソードが伝えられています!
かくして、源平合戦は源氏の勝利で幕を閉じたのです!
勝利に多大な貢献を果たした義経でしたが、
平家を京から撃退した義仲と同じく、
彼もまた頼朝に疎まれ、命を狙われることとなるのでありました!
尺がパンパンもいいところなので、そのあたりはまた、次回ッ!
ってことで、今回はこれにて!
~ 源平合戦、終幕 ~
あとがき †
ってことで、今回は源平合戦でございましたよ!
相当カットしているんですが、されど大ボリューム!
編集U「まぁ、牛若丸の個別回と分けたのは正解だな」
だぁしょ~???
しかし本編でも触れましたが、義仲と義経が似たような運命を辿るのは興味深い、
というか運命の皮肉を感じてしまいますね!
編集U「ふたりとも戦闘特化型というか、政治に向かない感じっぽいよな~。
んで前回だが、やっぱデュラハンは周りのユニットが本当の首説が出てたな」
それはそれでかなりホラーですけどね!!
実際のところはどういう設定なんでしょうか…!
それも気になりますが、もっと、いやもっとも気になるのは!
そう、スターダムトークですよ!!
編集U「尺がガチなんで」
ですよねェーッ!!
ならば話題を絞るッ!
まずは葉月が難攻不落のマリーを下してハイスピード王座奪取ですよ!
最後にまさかシューティングスタープレスを出すとは!!
初のシングル王座、おめでとう!!!
そしてシングル王座と言えば赤いベルト!
年内最終戦で花月からスリーカウントを奪ったジャングル叫女は、
1月14日の後楽園ホール大会で花月の赤いベルトに挑戦ですよ!!
そして花月が着ているシャツに注目!
なんと、欠場している岩谷のシャツなんですよコレ!
ライバルでありながら無言の「待ってるぜ」というメッセーj【編集コースター】
編集U「絞れよ!!!」
そ、そして、AZMパイセンは夏に勝利し、QQ残留を、勝ち取り、まし、た……!
果たし、て……、2019年は、どう、なる、の、か……!
それではみなさん……、よい、お年、を……!ゲルググッ
【来年もよろしゅう!】 †
コラムで取り上げてほしいキャラ、行ってほしい特集はいつでも募集中! 「この騎士ってどんな活躍したんだろう?」 「この妖精って元ネタあるのかな?」 「SRSと編集Uの考える○○ベスト5ってどんな感じ?」 などなど、『乖離性』で攻略に関係ない疑問があれば当コラムのコメント欄へ書き込んでください! SRSが可能な範囲で調べて取り上げます! 皆さまのコメント、お待ちしています! |
過去のキャラコラム一覧 †
参考文献 †
石ノ森章太郎(1991)『マンガ 日本の歴史 15 源平の内乱と鎌倉幕府の誕生』 中央公論社
川端洋之(2004)『源平京都 源義経と平家物語の人々』 光村推古書院
前回のコラム
妖精4つ詰め!フェニックス、デュラハン、あんどもあ!!【垂直落下式しゃれこうべライターM】
フェニックスにデュラハン、そしてルサールカにグルアガッハ!
メジャーからマイナーどころまでの4妖精をご紹介ですよ!
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