編集部コラム/尾張のうつけ!織田信長!!(後編)
書き手:垂直落下式しゃれこうべライターM(Twitter)
来た、見た、勝った!
林下詩美が2018年新人王に輝く!!
またもまたもの快進撃!
いわゆる勝ち抜き戦形式のガントレット戦を制した林下が新人王ですよ!
予想と期待に応えた新人王、果たしてつぎは何をやっt【編集トーチャーラック】
編集U「お前も少しは期待に応えろ!!!」
……あ、ある意味期待通りの幕開けじゃないです~?
さてもおきまして!
今回は前回に続きまして、第六天魔王こと織田信長のエピソードトークでございます!
うつけと呼ばれた信長が尾張の地を治め、今川義元を討ち取った、その後はいかに!
【目次】
一夜城、美濃に建つ †
桶狭間の戦いにて、大軍率いる今川家を見事討ち取った信長!
信長の活躍で今川家から解放された徳川家康と同盟を結び、東方を家康に任せると、
信長自身は西方に進出していきます!
西方近辺で大きな勢力を持っていたのは、
お隣、美濃の斎藤家、そしてその西に位置する近江の浅井家です!
編集U「でも信長は美濃国から濃姫を嫁にもらってるんだし、
どっちかっていうと同盟を結んでるようなもんじゃねぇの?」
どっこい、濃姫の父・斎藤道三が自身の息子である義竜に討ち取られて以降、斎藤家は反信長なのです!
そしてそれは、義竜の息子・竜興が跡を継いだあとも変わらず!
義父の仇を討つという意味でも、斎藤家は潰しておきたいところ!
が、尾張と美濃のあいだに流れる木曽川、長良川が邪魔で攻めることは容易ではありません!
そこで信長は、美濃攻略に先駆け、まずは近江の浅井家と和睦を結ぶことにします!
このとき浅井長政のもとに嫁に出されたのが、信長の妹・お市ですね!
浅井は和睦を受け入れますが、ひとつの条件を出します!
浅井家と親交が深い越前の朝倉家、こちらとも仲良くするように、というのです!
信長はこれを快諾し、さっそく美濃攻略を開始します!
家臣からのアドバイスで、川と川のあいだに攻略の拠点となる城を築こうとしますが、
城を建てるそばから敵に攻め込まれて工事は一向に進まず!
ここで活躍したのが、木下藤吉郎秀吉(豊臣秀吉)!
現場で作業をするのではなく、川上に位置する山の中で作業を進め、
出来上がった資材を川から流して現地で組み立てる、という作戦を実行します!
編集U「いわゆる一夜城ってやつか」
さよう!
秀吉が建てた
その居城である稲葉山城を占拠したのであります!
ところで、美濃はいまで言う岐阜県ですが、
岐阜という名前は、信長が稲葉山城を岐阜城と改めたことにちなんでいるとか!
編集U「なんか名前に意味でもあんのか?」
どうも岐阜の名は、岐山という場所で兵を挙げた王が天下を手にしたという、
中国の伝説にあやかって付けられたそうですよ!
岐阜の阜は丘を意味する言葉らしいですね!
編集U「ほ~、それは初耳だわ」
信長包囲網 †
さて、信長が本拠地を美濃に移したのが1567年!
それに先立つこと2年、1565年、室町幕府第13代征夷大将軍・足利義輝が京都にて死亡しました!
僧になっていた義輝の弟・
当時朝倉家にいた明智光秀の勧めで、織田家のもとにやってくることになったのです!
このとき、光秀も信長の軍に加わることになったんですね!
編集U「モードレッド……裏切り……、ウッアタマガ」
ハテ、ナンノコトヤラ?
ちなみに、光秀は信長の嫁である濃姫の従兄にあたるそうですね!
そしてまたちなみに、信長は光秀に“キンカン頭”なるあだ名を付けていたとか!
編集U「キンカンってーと、あの果物の?」
いかにも!
一説によれば光秀の頭がキンカンよろしくつるっとしていた、
いわゆるゲーハーだったことをいじったものだとか!
編集U「これは裏切るわ」
その展開はまだ早いですよ!!
ゴメンゴ!
ちなみに『ドリフ○ーズ』6巻では、作中の信長が“キンカン程度の頭しかない”、
という侮辱的な意味合いも込めていたと発言していますね!!
編集U「その情報は出さんでいい!!」
さて、信長は光秀が連れてきた義昭を京都まで護衛し、
これによって義昭は征夷大将軍の座に返り咲きます!
それ以来、信長を“父”と呼んで慕っていた義昭でしたが、
その義昭が提示した副将軍などの地位を蹴るなど、
信長は特別義昭に対していい態度を取ることはしませんでした!
地位を受ける代わりに、堺、大津、草津の支配権を望んだ信長はこれらの町を獲得し、
関所の撤廃や、独占販売権を持っていた市座を排除して自由取引市場を作り出す、
いわゆる楽市楽座などの政策を打ち出し、商業を発達させていきます!
最初は信長にへりくだっていた義昭も、信長が勢力を伸ばしていく勢い、
そして何より自分をないがしろにする態度に腹を立て、周辺勢力に連絡を取ると、
秘密裏に反信長同盟を作り上げようと暗躍するのです!
編集U「朝倉とか武田はともかく、寺まで敵になるのか」
信長は寺などにも
要求に応じない寺を取り潰すなどしていたため、けっこうな恨みを買っていたようですね!
当時は寺の僧たちは各大名から独立した独自勢力として存在しており、
戦闘能力もけっこう高かったらしく、お寺の関係者を敵に回すのはかなり面倒なことだったのです!
おまけに、“死ねば極楽に行ける”というある種バーサーカーモードな信徒たちまで、
各地で一向一揆という形で立ち上がって戦い始める始末!
信長は四方八方を敵に囲まれた大ピンチだったのであります!
第六天魔王、その由来 †
一揆は叩いても叩いても湧き出てくる、武田相手には到底勝ち目がない、
そんな考えがあったかはさておき、信長はまず朝倉を攻めることにします!
編集U「確か浅井家と和睦するときに、朝倉家とも仲良くしろ的な話があったよな?」
その通り!
朝倉への義理を重んじた浅井は侵攻する信長軍に反旗を翻し、
信長は撤退を余儀なくされることになります!
ちなみに、浅井、朝倉の軍には一揆で立ち上がった農民たちも混ざっており、
彼らはとある戦いのなか、比叡山の延暦寺に立てこもりました!
普通なら寺には手出しできないのですが、信長はと言うと……!
と、延暦寺を焼き討ち!
寺の僧兵のみならず、女子供も殺しに殺し、
果てには延暦寺に味方した近隣の町まで焼き払ったとか!
編集U「これは魔王」
そうそう、ここで信長の異名である第六天魔王ですよ!
この焼き討ちをあんまりだと思ったか、
武田信玄は信長に向けて挑戦状めいた書状を出します!
このとき、信玄はその書状に、“
天台座主は延暦寺の長、沙門は仏教徒、的な意味合い、
すなわき仏教を代表する者として信長を討つ、といった意味合いに取れる署名だったのです!
これにカチンときたのか、信長は送り返す書状に“第六天魔王”と署名しました!
こちらは、第六天という欲望に溢れた世界に住む、
仏教徒から信仰心を奪い、欲望に縛り付ける魔王のことを指す名なんですね!
つまり、信玄がマ○オを名乗ったので、それならこっちはク○パで上等じゃい、
ぐらいの勢いで言ったということですね!
編集U「脈絡もなく他社ァァー!!!」
さて、そんな挑戦もありまして、信玄は信長のもとへと迫ります!
同盟を結んでいた家康の軍も容易く破っていく信玄!
が!
家康との戦いからさほど時を待たずして、信玄は病死してしまうのです!
信玄と協力して信長と戦うつもりだった義昭でしたが、
信玄の死に気づかぬまま反抗していたところを信長にひっ捕らえられ、
京から追放されてしまいます!
征夷大将軍である義昭が追放されたことにより、事実上、幕府は崩壊!
その年、1573年の7月には年号も
信玄が死に、反信長同盟を裏から動かしていた義昭も追放され、
残った浅井、朝倉の連合軍もやがては信長によって滅ぼされ、
ついに信長は周囲の敵をほぼ殲滅することとなったのでした!
火縄銃 in 長篠 †
翌年、1573年の正月、久しぶりに余裕のある宴を開くことになった信長は、
なんと酒の肴として、討ち取った浅井長政とその父・久政、
そして朝倉義景、信長を苦しめた者たちのドクロを用意したのだとか!
編集U「宴会に頭蓋骨って……!!」
漆や金箔で飾り立てられたドクロには臣下たちも大盛り上がりで、
そのドクロを杯にしてお神酒を飲んだとか飲まなかったとか!?
編集U「やっぱ魔王だわ……」
その後、信長は長年苦しませられた一向一揆を潰すために、
ほぼ全勢力とも言える7万の兵を率いて、伊勢長島へと向かいます!
かつて一揆衆との戦いで兄弟が命を落としたこともあってか、
信長は一揆衆を徹底的に叩き潰し、老人や女子供を含め、
4万人近い数の人々を斬り捨て、焼き払ったそうな!
編集U「うわぁ……」
まさに魔王の本領発揮といった覇道っぷりを発揮する信長!
つぎに迎えたのは、信玄の息子・武田勝頼率いる武田軍との戦いです!
これぞ、前回の桶狭間と並んで有名な、長篠の戦いであります!
今回だとだいぶカットしてるのでアレですが、
武田の騎馬隊と言えば、当時はチート級の戦力!
まともに戦えば徳川にも織田にも勝ち目なし、といった有様です!
そこで信長が用意したのが……!
編集U「思い出したように他社ァ!!」
武田の馬が脅威なら、馬が進めなくすればいいじゃない、
ってな具合で、開戦前に戦場に木の柵をこれでもかと突き立てた信長!
柵に阻まれ、動きが鈍ったところを大量の鉄砲隊でズドン、という作戦です!
これが完璧なまでにクリティカルヒットし、
ほぼ無敵の武田騎馬兵隊を打ち下したのでした!
ちなみに、長篠の戦いと言えば信長軍の3段撃ち、
装填に時間がかかる火縄銃の弱点を補うために、
鉄砲隊を3列に並べて順次発砲させた、という作戦なのですが!
これは後々になって付け足された作戦である、という説が有力らしいですね!
編集U「え、そうなん?」
大量の鉄砲を用意したことが勝因だったのは間違いないようですが、
いわゆる3段撃ちみたいなことはしていなかったようですね……!
そして本能寺 †
武田にも勝利し、いよいよ天下布武も確定しそうな勢いの信長!
安芸の毛利家から支援を受けてしぶとく抵抗する石山本願寺の僧兵たちとも戦いつつ、
つぎの標的を毛利家にシフトしていきます!
戦いの果てに石山本願寺を降伏させてから2年、
1582年になると、信長は中国、四国地方の制圧に向けて軍勢を動かします。
前線で戦う秀吉のもとに光秀を派遣すると、
続いてみずからも前線で指揮を執るため、中国地方を目指しました。
そしてその道中、信長は30人程度の配下を連れ、京都の本能寺に立ち寄ります。
編集U「おっと、本能寺ってことは……」
本能寺に宿泊した翌日、まだ夜も明けきらない早朝に、
信長はただならぬざわめきによって目を覚まします!
外からは
そして、光秀本人が軍を率いる声を上げるなか、信長は静かにつぶやきました!
本能寺に集まっていた信長の手勢は100人程度、対して光秀の軍勢は1万以上!
火を放たれ燃え盛る本能寺のなか、信長は最後まで戦い、そして炎のなかに倒れていったのです!
こうして信長を討った光秀ですが、彼もその後、秀吉との戦いに敗れて命を落とします!
彼が信長を討った理由が何だったのか、その謎は歴史の闇に埋もれることとなったのでした……!
~ 終幕 ~
あとがき †
ってことで、2週に渡っての信長回でした!
いやぁ~、
ッッッ長ェェー!!
というかやっぱ戦国時代は登場人物が多くててんやわんやですね!
学生時代に速攻でブン投げた理由を思い出しましたよ!
編集U「ちゃんと勉強すると面白いんだけどな~」
いや~、社会系の分野は本気でダメでしてね!
美濃、どころか岐阜県の位置も今回初めて知りましたよ!
編集U「義務教育の敗北を見た」
興味なきところに知識なし、ってね……!
歴史よりも何よりも僕の興味を引いて止まないのは!
そう、みなさんお待ちかねェ!!
スターダムトークってことですよォォー!!
来週、12月15日の横浜ラジアントホール大会では、
岩谷麻優、鹿島沙希、中野たむの3名が渡辺桃、小波、林下詩美を相手にアーティスト王座の防衛戦!
桃と林下はタッグ王座を獲得して勢いがあるだけに、王者組は警戒したいところですよ!!
そして続く16日の新木場1stRING大会では、タッグ王座を奪われた刀羅ナツコが桃の白いベルトに挑戦!
ここで刀羅が勝てば近年まれに見る大金星な気もしますが、果たして秘策はあるのか!?
年末ということもあってか、連日の王座戦!
果たして年明け前に勢力図はどう変わるのk【編集サンライズ】
編集U「はい終了ォォー!!!」
と、ところで7日の大阪大会……、どうやら岩谷のドロップキックが、
絶好調だった、そうで……、生で、見た、かっ、た……!エックスマオウッ
【2018年最後のランキングは!?】 †
コラムで取り上げてほしいキャラ、行ってほしい特集はいつでも募集中! 「この騎士ってどんな活躍したんだろう?」 「この妖精って元ネタあるのかな?」 「SRSと編集Uの考える○○ベスト5ってどんな感じ?」 などなど、『乖離性』で攻略に関係ない疑問があれば当コラムのコメント欄へ書き込んでください! SRSが可能な範囲で調べて取り上げます! 皆さまのコメント、お待ちしています! |
過去のキャラコラム一覧 †
参考文献 †
小西聖一(2003)『NHKにんげん日本史 織田信長』 理論社
倉山満(2017)『大間違いの織田信長』 KKベストセラーズ
前回のコラム
尾張のうつけ!織田信長!!(前編)【垂直落下式しゃれこうべライターM】
今回が後編ですからね! そりゃ前回は前編ですよ!
こちらでは信長の幼少期から戦国デビュー、そして対今川の桶狭間の戦いまでをご紹介!
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