用語

『アサシンクリード ユニティ』の物語を読み解くに必要な用語をピックアップして解説。

ジャコバン派(ジャコバン・クラブ)

 ジャコバン派とは、フランス革命期の政治政党のひとつである。その成立はパリのジャコバン修道院によるものからジャコバン・クラブとも呼ばれた。別名、憲法友の会。

 全盛期には7000超の支部を有し、50万人近い会員が所属していたと推測される。初期のクラブはブルターニュの代議士の集まりに過ぎなかったものの、一般市民や外国籍の者など、身分を問わず誰でも受け入れることで急速に精力を拡大した。

 このような背景から、ジャコバン・クラブは本来様々な思想を持つ者たちが集う政治クラブであった。しかし、穏健主義寄りの代議士の多くが脱退、穏健共和派であるジロンド派、立憲君主派のフイヤン派(フイヤン・クラブ)を立ち上げたことで、山岳派と呼ばれる急進派集団が主導権を握るようになる。

 王室が失墜した後、クラブの中では山岳派のロベスピエールが台頭、パリの民衆の支持を得て、ジャコバン派が実質的に政府を掌握した。

 だが、ジャコバン派は恐怖政治に手を染め、国民公会や共和国の敵と見なされた者達に、幾度となく粛正を断行した。恐怖政治は長くは続かず、ロベスピエール自身が逮捕、処刑されるまでの約1年で終わりを迎えた。指導者を失ったジャコバン派は、1794年に非合法化されることになる。

 後年、ジャコバン派はロベスピエールのような山岳派と同義として扱われている。成立を鑑みるに、穏健派や単にクラブに所属していたメンバーを指すこと自体は間違いではないが、そのような人物・コミュニティを指してジャコバン派と呼ぶことは少ない。

ジロンド派

 ジロンド派は、革命期のフランスに存在した政治派閥。、ロベスピエールやダントンなどの山岳派に対立する一派として描かれている。

 当時の政治派閥は近代以降の政党ほどに政治信条の相違が明白ではなかったが、この2つの派閥については政策への意見を異にしていた。ジロンド派は対外戦争や、当時成立したばかりの合衆国式の連邦政府の樹立を支持した。一方、山岳派は戦争には反対で、政治はパリ主導で行われるべきと考えていた。

 当初はジロンド派が政治の中枢にあったが、数々の失策により支持を失い、山岳派の台頭を招くことになる。

第三身分

 第一身分が教会(聖職者)、第二身分が貴族、そして第三身分はそれ以外の平民を指す。第三身分には物乞い、農民、中産階級、医師、法律家、学者などが含まれ、収入によって身分が決定されていたわけではなかった。

 フランス革命期の政治家、E.シエイエスが記した『第三身分とは何か』という小冊子のによれば、「第三身とは何か? 全てである。今日までの政治的体制の中で、何であったものか? 無である。何を求めるのか? 何かになることを。この身分なくして何かを為すことは叶わず、他の二身分がなければ、万事が上手く行くのだ」とされている。

三部会(三部会議会)

 1983年、第三身分から代議士578名を選出する選挙が行われた。その中にはロベスピエール、ムーニエ、バルナーヴにシェイエス、そして貴族ありながら第三身分の代議士の立場を選んだミラボー伯爵の姿があった。

 第三身分の代議士が着用していたシンプルな黒服は、貴族や聖職者がまとう色鮮やかな衣類とは全く対称的であった。なお、第三身分の代議士は20代後半から30代前半の者が大半を占めていた。

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